北京の漫画アニメ産業

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  漫画アニメとは、漫画とアニメーションを指すだけでなく、巨大産業のひとつである。ディズニーのミッキーマウスや日本のハローキティーなどのアニメのキャラクターは、それぞれ2万種以上の関連商品がある。それらの活力のあるキャラクターは商品のうえに印刷されるだけでなく、コンピュータゲームや映画の中にも登場している。

  北京は多くのアーティストや出版機構が集まるところで、漫画アニメ産業もその例外ではない。数多くのアニメ創作グループ、運営機構が北京にあり、さらに巨大な消費市場をもつ。そのため、北京市の文化クリエイティブ産業のなかでも、漫画アニメ産業はきわめて活力を持つ産業となっている。

  漫画家姚非拉とアニメ監督李剣平

  中国の漫画アニメといえば、漫画家姚非拉とアニメーション監督李剣平の二人に言及しないわけにはいかない。

  姚非拉は1970年代に生まれ、中国内地で初めて会社と契約を結んだ漫画家で、10年のキャリアをもち、中国の漫画新時代の発展を身をもって体験してきた。

  姚非拉は、大学入試のとき、当時もっとも「人気」だった専門――コンピュータ専攻に合格した。しかし、一年の時から漫画に溺れ始め、まったく美術的基礎がなかった彼は、独学で創作の道を歩み始めた。ちょうどその時は内地の漫画アニメ産業が興ったばかりの段階で、専門でない学生の投稿にもかかわらず、雑誌社に重視された。四年生の時、大学院に進学するチャンスを放棄し、プロ漫画家としての生活を始めた。

  1995年から、姚非拉の漫画『夢の中の人(原題:夢里人)』が、『北京漫画』誌で連載が開始され好評を博した。この連載は10年にわたって続き、内地の漫画史上もっとも長い連載記録を創った。2005年、この長編漫画は中央テレビ局でアニメーション作品に改編され、放送された。これは、国内初の漫画を改編したアニメーション作品であった。

  現在、姚非拉は自らのスタジオを持つようになった。彼がいまやっているのは経営的な仕事で、つまり「漫画家をビジネス武装する」ことである。最近の嬉しい出来事は、彼と契約を交わした漫画家「猪楽桃」が人気を博し、日本で行われた「中国で影響力をもつ100人のアーティスト」のなかに選ばれた唯一の漫画家となったことである。

  李剣平は現在、北京電影学院動画学院の副院長で、かつて姚非拉の漫画作品『夢の中の人』をアニメーション化した人物である。

  2001年、『夢の中の人』のアニメーション改編権を獲得した時、中央テレビ局でアニメ監督をしていた李剣平は、この作品に5年間を費やすなどとは思いもしなかった。アニメ化した原稿は数万枚におよび、彼の苦労が覗える。

  1988年に北京電影学院美術系動画専攻を卒業した李剣平は、アニメ業界の計画経済から市場経済への転換を体験した。大学卒業後、中央テレビ局に配属された李剣平は「当時のアニメーション作りは国家から資金をもらい、作者がアニメ作品を創作しました。資金は国が出したため、作品の成功不成功は市場に評価されるものではなく、作品の社会?芸術に対する影響力によって決まるものでした」と語る。

  1990年代以前には、中国のアニメ業界は、純粋な芸術に属するものであり、市場を考慮する必要はなかったのである。しだいにテレビメディアのアニメーション製作に対する要求は高くなり、中国のアニメーションも投資した分を回収しようと考えるようになった。20世紀のいま、アニメーションはすでに多くの若者が目指す業界となっている。

  今日、北京電影学院で教鞭をとる李剣平は、学生の心理的変化を感じ取っている。ある学生のアニメを選んだ理由は比較的単純で、つまりアニメ創作をしたいというものだが、卒業してからの就職が容易で、市場での成功を望んでいる学生もいる、という。授業ではほかの教師と同じように、彼は学生に芸術的な指導を行いながらも、どのようにしたら作品が市場に認められるかという指導も与えている。

  すべての創作芸術と同じように、アニメの品質は創作力に頼っている。中国のアニメ産業は現在、中国本土にはまだ人々に好まれる作品があまり現れておらず、その主な原因は経験と優れた創造力を持つ専門人材の欠乏が原因だと、李剣平は語った。

  中国アニメ人材の養成基地である北京電影学院は、早くも市場のアニメ人材に対する需要を認識していた。2000年、国内初のアニメ専門の動画学院が設立され、中国のアニメ産業のために、数多くの人材を養成してきた。年に一回学院が行うアニメの「学院賞」は、中国アニメ短編映画のオスカー賞と称えられ、国内のもっとも権威があるアニメ短編映画の選出?交流会である。このコンクールはすでに7回行われているが、今年の第8回「学院賞」は初めて北京市の計画に採り入れられ、第3回文化博覧会の重要なイベントの一つとなった。

  中国のアニメの都を目指して

  2006年、国務院が12号公文書を頒布し、10の部(省)が提携してアニメ産業の発展を支援し、3年から5年の間にわが国を世界のアニメ大国?強国にしようと呼びかけている。

  2008年8月13日、文化部は『文化部の中国アニメ産業扶助に関する若干の意見』を公布した。

  国家の産業発展政策に導かれて、全国の地方政府もアニメ産業扶助政策を打ち出し、資金?納税?奨励金?人材導入などの各方面で、アニメ産業に対する優遇調整策を採用した。ラフ統計によると、現在全国の20数省はアニメを新興産業として大いに支援しており、北京、上海、蘇州、杭州、無錫、広州、深圳、大連なども相次いで優遇政策を打ち出し、アニメ産業基地の建設を進めようとしている。

  現在、中国で「アニメの都」の称号の争奪戦が行われている。北京、上海、成都、広州はすでにインターネットゲーム、アニメ産業の国家の発展基地となっており、蘇州にはアニメ製作工場が多く集まっていて、常州には、アニメ製作企業の交易と製品集散のための大市場を建設中である。杭州、長沙、広州なども「アニメの都」のタイトルを争っている。「アニメの都」の争いは、これらの都市だけに止まらない。ラフ統計によれば、対外宣伝で「アニメの都」を自称する都市は、20を超えているという。

  北京市も全力でそのトップの地位を奪おうとしている。

  2006年末、アニメゲーム産業発展フォーラムで、共産党北京市委員会宣伝部陳冬副部長は、アニメゲーム産業は北京市の文化クリエイティブ産業発展の八大重点産業の一つで、ほかの7産業と共に北京市政府の出資による毎年5億元の専門発展資金を受けるだろうと語っている。

  北京市が初めて認定した10のクリエイティブ産業集中区のうち、6つはアニメ産業と関係する産業である。

  「北京市が石景山区でデジタル娯楽産業を大いに発展させるという計画を知った時、私はチャンスが来たと思いました。2005年5月、私は石景山区の北京デジタル娯楽産業モデル基地に三浦霊狸社を設立しました。」昨年、安徽省の合肥市の「陳永鎮スタジオ」を離れて、北京に来た経歴に触れると、北京三浦霊狸動画設計有限会社の取締役兼総裁の陳功了は興奮を抑えきれない様子であった

  陳功了は、北京のアニメ産業発展のメリットについて、このように語った。「北京は政治文化の中心であるため、北京にある漫画アニメ企業は他の地区より政策の方向を把握しやすい。また、注文が多く、企業の生存チャンスが比較的大きいのです。」

  北京電影学院、中国伝媒大学などの大学はアニメ産業に人材を提供している。北京の濃厚な文化的雰囲気は、数多くの「アニメ移民」引き寄せている。これは、北京の漫画アニメ産業の発展に続々と新しい血を注いでいる。

  中国電子情報産業発展研究院と賽迪顧問株式有限会社の最近の調査によると、2007年北京市漫画アニメ産業の営業収入は10億元を突破し、一部のサイトとネットゲーム会社の年間平均収入は、1億元を超えているという。

  漫画刊行物の出版量では北京はトップで、アニメの生産製作量では、北京は第6位を占めている。昨年の北京市の10億1000万元の漫画アニメ営業収入の中で、アニメキャラクターの使用権譲渡による収入は5億1000万元、映画?テレビのアニメーション作品による収入は1億8000元、漫画刊行物による収入は2億4000万元、アニメの舞台劇など新興のアニメ製品による収入は1億元近くであった。

  オリンピック大会開催というチャンスに、北京kaku動画衛星テレビが丹精に創った『フーワーのオリンピック漫遊記(原題:福娃奥運漫遊記)』は一世を風靡し、社会反響を呼んだばかりでなく、アジア青年アニメ漫画コンクールの最優秀作品賞に輝いた。これは、ここ数年の国内アニメ創作のピークであるといえる。

  新興産業として、世界のアニメ産業の年間総生産は400億ドルだが、関連する製品の生産額は4000億ドルに達する。アニメ産業の発展は、直接的にソフトウェア産業の開発?生産?小売に、ひいては教育産業にも影響を及ぼしている。同時に、ますます多くの会社がアニメ製作に力を注いでいる。北京市にあるアニメ製作会社は、5年前の100社あまりから1000社以上に増えたという。現在、全国にはアニメ専門のテレビチャンネルが4、5本あり、北京テレビ局のkaku動画衛星チャンネルは、衛星放送による放映を実現している。

  遠くない将来、北京は名実ともに「アニメの都」となるだろう。


編集者: amy 出所: 中国画報 時間: 2014-02-08 11:33:33

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